先ほど、全4戦を改めて観てみました。
当時はテレビ観戦だったのですが、レース後点滅する着順掲示板を眺めながら
競馬場の歓声が聞こえてこないことに違和感と畏怖を覚えていました。
…そうですね。皐月賞の走りの記憶は、自分の中では
「畏怖」という形で再構成されています。
3~4コーナーで首の伸縮に合わせて、河内の拳がうなる感覚。
タキオンの記憶のひとつです。
皐月賞は大事に乗ったこともあるでしょう、4コーナーでは
ダンツフレームとジャングルポケットの射程に入りました。
どうしてアレで突き放せるのでしょうか。
…携帯サイト、競馬総合チャンネルの掲示板で
タキオン急逝の半月前の書き込みを見つけました。
タキオンの掲示板なのですが、けっこう冷静で好きなトーンでした。
以下、自分なりに読み取った概要です。
「タキオンの強さを見極めたかった」「3歳春までの4戦ではキャリアに乏しい」
「そんなに強かった印象はない」「他馬より早く完成した分のアドバンテージ」
「スローの上がり勝負で33秒台のパフォーマンスはサンデー牡馬では珍しくない」
「無敗でなくてもいい、能力の底の部分を見たかった」
掲示板は、書きたい人の集まりであって、
読みたい人の集まりではないような印象が常にあります。
そのため普段はあまり見ないのですが、今日はたまたま。
こんな読ませる方もちゃんといらっしゃるんですね。
タキオンが皐月賞まで世代を圧倒したのは
加速力の差、と考えています。
当時ライバルと見られていたジャングルポケット、クロフネは
瞬時にギアを上げられるタイプではありませんでした。
それは早熟さともリンクはしますね。加速力を生む馬体の仕上がり。
アドバンテージはあったでしょう。
早熟さは、クラシックを獲るための重要な素養です。
「伝説のラジオたんぱ」は勝つべくして勝ったレースと思っています。
改めて映像を見返した感想。
個人的に最もタキオンの凄みが見られたのは
弥生賞の3~4コーナーと思います。
それに対し、直線に入ってからは
3~4コーナーの勢いから期待される伸びを見せていないような印象です。
皐月賞はなおのこと。
その後の屈腱炎から逆算すると、皐月賞時点で
すでに脚元の違和感は発生していて、
直線でのスピードをタキオン自身が加減していたのではないか、
というのが自分の見解です。
どうしてアレで突き放せるのでしょう、という冒頭の言葉は
脚元への加減をしながらの加速だとしたら、という見立てから来る感想です。
それでも勝った、のです。
それを含んで膨らんだ「畏怖」、なのです。
そういえばゲート入りを嫌がり、目隠しされていました。
その前の追い切りも馬場入りを嫌がっています。
状態が万全ではなかったのは、勝利ジョッキーインタビューの
鞍上の表情にも表れているように思います。
すべては妄想でしょうかねw
無条件で思い入れていたわけではありません。
今に至るまで、あの年のダービーを勝てたのか、
あの時のジャングルポケットをねじ伏せることはできたのか、
見ることのできないダービーのゴール前は、イメージが難しいままです。
そして種牡馬としても。
競走生活と同様、完成を見る前に、評価が固まる前に
舞台から降りることになりました。
最初で最後の出会いは社台スタリオンステーション。
すっかり恰幅のよくなった光速の貴公子。
デフォルトでほおが膨れてるって。
身勝手な「畏怖」を取り崩しながらまったりとカメラを
回していたことも思い出されます。
ただ残念というばかりです。
その存在感を書き記しておきたく、つらつらと長文を起こしました。
やっぱり、ちょっと早いよな。