3日間開催の最終日、自分は清里におりました。
今井寿惠さん。昨年亡くなられた写真家です。
清里フォトアートミュージアムで開催されている追悼展に
どうしても行っておかないと、と日帰りの強行軍でまいりました。
ケイバを深堀りするにつれ、要所で出会う写真に
「今井寿惠」のクレジットを見てきました。
例えば、競馬場やウインズのグッズ売り場にポストカードが並んでいますが
印象的な何枚かを手に取ったらきっとその名前を見つけることが出来ると思います。
例えば雑誌「優駿」の、今も続いている世界の種牡馬コーナーの写真は、大半が今井さんのものだと記憶しています。
レースのストーリーを描写する写真というよりは、一頭のウマの表情、その存在感や意思?といったものを写し撮ろうとされていたような印象があります。
それは、今井さんが見出した表情だったかもしれませんし
今井さんが見たかった表情だったかもしれません。
被写体は撮り手にとっての鏡、という表現はベタでしょうかね。
若干、ウマの存在を見上げる形にもなっていたでしょうか。
愛情の賜物と容易に察しが及びますけどね。
レースリポート記事の横に必要な、客観的な記録写真という撮り方ではなかったという理解です。
レースリポートの写真なら、レース展開を切り取ったうえで、そのうちの1枚でもその日の熱を伝えられればbetter、という評価になるのでしょう。
競走馬のポートレイト。
今井さんの志向を端的に紹介するなら、
そういう表現がしっくりくるように思います。
気に入っている写真はヌレイエフ。「孤高」と銘打たれている1枚です。
何というか、焦点の不明な視線なんですよね。
意思の向きがキャッチしにくい視線といいますか。人間のそれからは類推しづらいピント。この感知しきれない感覚が「神秘」という言葉に置き換わる事もあるかもしれません。
ただ単にボーっとしてただけかもしれないんですけどねw
思い出すのは宮崎駿さんの「もののけ姫」にでてくるシシ神w
その生命がそこに「在る」ことを象徴するような視線を送る1枚、という印象ではあります。indivisualという発見に至っていない、中世ヨーロッパの肖像画という例えもアリかもしれません。
ケイバを始めたきっかけが雑誌記事の写真ですので
自分なりにこの種のアンテナは持っていたようです。
その当時から今井さんの写真は優駿などで取り上げられていましたから
自然と触れる機会には恵まれていました。
あ、ちなみに、写真のテクニカルな部分については全然詳しくありません。興味があるけど手を出すに至らない、といういたって平凡な佇まいでおります。
ですので、清里でも、あくまで感じるまま、
表現者としてピントはどこに合っていたのだろう、
ウマの存在をどう感じていたのだろう、と思い巡らせつつ
ポートレイト群と向かい合っていました。
最近、ファン側のストーリーに寄り添ってレースの熱さを伝える写真は、むしろ増えているような印象もあり。
それ自体は全く好意的に受け止めています。
商業ベースでなくても、かっちょええ写真多いですよね。
ただ、今井さんの切り口に近いテイストにはなかなか出会えず。
その癖に良し悪しはあるのでしょうけどね。
専門的な知識を踏まえた論評など、触れてみたいものです。
追悼記事をしたためたいと思いつつ、落ち着いた心持ちの中で浮かぶ言葉を記しておきたく、なかなか書けずにおりました。
あ、面識はございません。あしからず。
あくまで写真家といちファンの距離でございます。
馬事文化賞は生前になんとかならないものかと思いつつ。
こんな素人にもなんだか受け取るものはありましたよ。
ステキな着眼点を、熱を、有難うございました。
ゆっくり休んでくださいませ。